2021年11月14日日曜日

下半身ラブドールを買ったけど全く使い物にならなかったのでインテリアにした


 【前回までのあらすじ】

好奇心から2万8千円する下半身ラブドールを買ったが全く使い物にならなかった。陰茎を摩擦するシリコン製の筒などと違って容易に捨てられないし、7Kgもあるのでただ置いておいても邪魔である。なにより徳川八代将軍として2万8千円を性具に費やし、結果ドブに捨てることになったという事実を認めるわけにはいかないのだ。思案の末、何とかインテリアにしてみることに思い至った吉宗であった。



【材料紹介】

〇 骨格部

・丸形まな板(ニトリ) 1,000円ぐらい
・テーブルの脚(イケア) 1,000円ぐらい


〇 装飾部

・子供用チェックスカート(ZOZOTOWN) 2,640円
・子供用フォーマルシューズ(Amazon) 2,380円
・草刈りチップソー(ホーマック) 800円ぐらい
・しっぽ付きアナルプラグ(Amazon) 1,280円


〇 本体


(実際にはもっとピンク色で日常的に目にするにはかなり厳しい見た目だが、いわゆるおしゃれフィルターをかけてまだ見れる状態に加工)



【制作過程】

〇 まな板にテーブルの脚をねじ止めする

板の厚さを考えてなかったので付属のネジは使えずほかに用意する必要があった。



〇 靴とタイツをはかせて穴の部分にテーブルの脚を押し込む
適当にやると穴の部分を支点としたやじろべえ状態になり、戦時中の見るも無残な婦女暴行感が出てきてしまうのでテーブル脚の長さを調整し足がつくようにする。

このラブドールは肛門側にも入口があるのでプラグを突っ込んでしっぽを出す。テーブルの脚が黒なのでしっぽは別の色にするべきだったなと思った。



〇 スカートを履かせチップソーを乗せる


チップソーは台になるし上半身から切断された感が出るかなと思って採用したのだが思ったより地味だった。刃の部分はカバーが被せられているので手を切ったりする心配はとりあえずなさそうだ。金やすりや防刃手袋を一応買ったのだが無駄になってしまった。
下地が赤いのはラブドール地のピンクは見栄えが良くないので胴体の切断面の形に切った赤いフェルトを乗せているため。

余談になるが、ニトリに台座のまな板を買いに行ったとき偶然このスカートを履いていた女児に遭遇し相当厳しい気持ちになった。



これは上にGoogle Nest hubを乗せていないいないばぁを再生している様子

とりあえずはこんな感じで使おうと思う。
飽きたら服を買い替えてもいいし、ライティングなどすればもう少し雰囲気が出るかもしれない。
ラブドールを買って失敗したと思った人の参考になれば幸いである。
もちろん、そのような失敗をしないに越したことがないのはいうまでもない。






2021年6月6日日曜日

天井から漏水した話


住んでるアパートの天井から漏水が発生した


初めての経験だったので事の顛末を記録しておこうと思う


まず原因を先に述べておくと、上の階の洗濯機が水をあふれさせたことによるものだった。あふれた水が階上の床に貯まり、それが床を突き抜け僕の部屋の天井から流れ落ちてくる…という流れ。原因が凡庸なので正直話のパンチにかけるんだよなあと思っている節はあるが、それはともかくとして経緯は以下のとおりである。


事の発端は今年一月中旬。ご多分に漏れずインターネットを眺めていると何やら台所のほうから水音がすることに気づく。蛇口の締めが甘かったのかなと思いながら台所に足を踏み入れると靴下が水没した。床が水浸しになっている。最初は洗濯機から水があふれているのかと思ったがそうではないらしい。周囲をを見回すと天井からそこそこの勢いで水が流れてきていることが判明。ここからしばらく「は?」「何だこれ」連呼タイムに突入する。












(写真は広範囲にわたって涙を流す壁紙の様子)


今のアパートに引っ越してきて約5年。いくら家賃3万2千円(共益費込み)の部屋だからと言って台風や大雨の日でさえこんなことはなかった。ましてや今日は快晴である。この寒さでアパートの配管とかがやられてしまったのだろうか。


とりあえず床が水に浸かっているので排水しなくてはならない。幸い玄関が近いので水を外に押し流すことにした。物理的に床を水洗い出来てラッキーなのでは?と自分を励ましたが天井からの水は止まらず下の画像が頭をよぎる。


とりあえず水を掃き出し、タオルを壁に画鋲で斜めに打ち付け水を受け止められるようにした。傾斜をつけたことで水が流れていく方向を一点に集中させその先にバケツを置くという妙案である。


当意即妙臨機応変な対処に我ながら感心しているのもつかの間、漏水ポイントが他に四つあることが判明した。四人の公王でさえ五人は同時に出なかっただろ。少しは手加減してくれ。

他の漏水ポイントは次の通り

・ロフトの天井

・扉の木枠

・換気扇
・トイレ


特にロフトの天井がひどく、動画を見てもらえば分かると思うがなかなかの勢いで水がしたたってきている。動画は漏水箇所の一部分を映したもので、実際にはこの左右1メートルぐらいからも(動画の箇所より勢いは弱いが)水漏れを起こしている。一番ひどいところには適当な容器を設置し、それ以外は見ないふりをするという男気を見せることにした。
寝具が多少濡れた程度で済んだのは不幸中の幸いだったと言える。


各箇所とりあえずの応急処置と適度な無視を行い、一段落というかもう気にするのやめるか…的な諦めの境地に至った午後11時50分ごろ、管理会社に連絡してみることにした。相手は単なる町の不動産業者なので当然繋がらず。


日付が変わり午前0時30分ごろ、何故だかわからないが幸いなことに水の勢いが弱まってきていた。相変わらず台所の床は濡れているが、再度排水すれば何とか自然乾燥が期待できる程度にはなった。とりあえずこの日はここで寝ることにした。


翌朝目を覚ますと水は完全に止まっていた。配管トラブルではなく、上の住人が何かやらかしてしまったのだろうか。


この日は午前中仕事を休み、昨日繋がらなかった不動産業者に連絡を入れることにした。11時ごろに修理業者が来てくれるらしい。


午前11時30分ごろ、修理業者の人がやってきた。漏水箇所を説明したり録画した水漏れの様子を見せる。結構ひどいですねとのコメント。


原因を突き止めるには上の階の部屋も見なければいけないようなのだが、現段階で上の階の住人とはあいにく連絡が取れていないらしい。だから今日はあくまで状況確認にとどまりますという説明。「また今夜も水が流れてきたらどうしたらいいんでしょうか、応急処置とかできることはありませんか」との質問には、「テープを貼るなどの処置は取れるかもしれませんが、広範囲すぎますし排水のことを考えると難しい面がありますね」との回答。要するに気合で持ちこたえるほかないと言うことらしい。「とりあえず水は止まってるし、昨日も何とかなったからまあいいか」と深く考えるのをやめることにした。人生をまあいいかで済ませてきた男。

その日は水漏れすることはなかった。


まあいいかで済ませてから4か月が経過した。この間は大家や保険会社や修理業者間の調整で過ぎ去った時間だったのだが、あれ以来漏水することもなかったし、正直かなりどうでもよくなっていたので別に何とも思っていなかったところ、ついに工事が開始されることになった。


















壁紙と天井裏の断熱材の取り替えが始まった。家賃3万2千円(共益費込み)の物件がよりみすぼらしくなってしまったような印象を受ける。この工事は二日がかりで、貴重な土日を消費することとなってしまった。


余談だが、工事一日目の夜はいやー家がこんな状態だしビジネスホテルに泊まるしかないな~と胸を躍らせていたところ、宿泊したホテルが繁華街に近かったため夜中ホストクラブらしきところから乾杯コールが聞こえてくるという憂き目に遭った。このコールは窓を閉めていても聞こえてきており、こういうのを生で耳にする機会はあまりないので録音したものを以下に貼っておきたい。

(スマートフォンで録音したものなので音質が大変悪い)


話は戻って二日間の工事は完了し、壁紙等もきれいになった。正直漏水したその日以降一切困ることはなかったので、工事してもらったからと言って特に変化はなく単に土日が潰れただけに終わった感は否めなかったが、全体としては大した被害もなくてよかったように思う。
会社の人間にこの話をしたら「上の住人からいくらか貰わないのか」「家具に水をかけて保険請求しろ」などの悪いアドバイスを貰ったが、人生誠実にを信条とする僕としては憤りを隠せないのであった。


おわり





2020年4月22日水曜日

「奄美の債務奴隷ヤンチュ」についての備忘録


奄美の債務奴隷 ヤンチュ」という本を読んだので個人的な備忘録として概要と気になった箇所をまとめておくものです。




〇「ヤンチュ」とは
 漢字で「家人」。古代における賤民身分の奴卑に近く、地方豪族や豪農に隷属する下人のような人々を指す。(P35)


〇 このような人々が発生した経緯
 1609年(慶長14年)、薩摩藩は奄美諸島に侵攻しこれを侵略。当初は自立小農民の育成に重点を置き稲作を主とする政策を取ったが、奄美特産の砂糖が大阪市場などで高値で売れたため、年貢を今までの米から砂糖に代える「換糖上納制」を1745年(延亨2年)から実施。生産された砂糖は農民の手元に残ることなく全て薩摩藩に吸い上げられていく。

 天災や病気など不慮の事故で規定量砂糖を納められなかった農民は豪農から借りてこれを納めるしかなく、どんどん借財が増え、最終的にヤンチュとして自身を豪農に身売りするようになった。幕末には奄美大島の人口の2~3割がヤンチュだったとされている。(P38、P49)


〇 ヤンチュ転落への典型的ロードマップ例


 Aさん一家に藩から三反の土地が割当てられる
 ⇩
役人がやってきて一家に与えられた土地を検分し、「今年の上納量は六百斤ね」と決めていく
ところがその年は台風が数多く襲来し収穫が減少、砂糖は四百斤しか作れず
一家は仕方なく近くの豪農B氏に相談して不足分の二百斤を年三割の利息で借りようやく上納
ところが台風常襲地帯である奄美のこと、不運にもサトウキビは翌年も不作、再度豪農B氏より不足分を借りることに。さらにその翌年も台風が・・・
気づけばB氏への借財は膨大な量に膨れ上がり、すでに自力返済は困難な一家は万策尽きて藩庁に届け出を出し、自身の「売買証文」を書いてB氏のヤンチュとなるのでした(完)。(P70)


〇 一生豪農の所有物
 自身の負債を完済すればシステム上一般百姓(ジブンチュと呼ばれる)に戻ることが出来たが、場所によっては年利七割から七割五分という高金利が横行していたため、一度ヤンチュに身を落とすと元に戻ることは出来ず、そのまま一生を終える人がほとんどであった。ヤンチュは物として扱われ、豪農間での売買も自由だった。
 ヤンチュ同士の子、あるいは女ヤンチュの私生児は「膝(ヒザ)」「膝生(ヒザオイ)」「膝素立(ヒザスダチ)」とよばれ、生涯無償でヤンチュ身分のままであった。(P68、69)


〇 ヤンチュ札
 
 ヤンチュになるとヤンチュ札と呼ばれる、名前や住所や「身代糖 何斤」のように負債の量が書かれた札が発行され、これを豪農が所有していた。この札の所有量が豪農の証とされた。(P73)


〇 ヤンチュの食生活
 薩摩藩はサトウキビの単作を強制したため、島民らは保存食となる米や芋を作ることが出来ず、ひとたび飢饉が起こると草の根や海藻しか食べるものがないという状態に陥る。1755年(宝歴5年)の凶作時には徳之島の島民三千人が餓死する事態が発生した。(P51)

 ヤンチュに限らずほとんどの島民は白米を口にすることはなく、大半が蘇鉄(ソテツ)粥であった。蘇鉄粥とは、蘇鉄の実やその幹から取ったでんぷんにわずかな米粒が入った粥のこと。蘇鉄のでんぷんだけでできた「ドガキ」を食べる人も多かった。味噌汁のようなものが食されるのは稀で、芭蕉の幹の芯を丸切りした具を海水で味付けしたものが主であった。こんな食べ物でも早く食べないと無くなってしまうのでヤンチュたちは争うように食べていた。(P92、93)


〇 貨幣の流通停止と余計糖
 薩摩藩は砂糖の密売が出来ないように貨幣の流通を停止、奄美島民は商売を営む権利を剥奪され物々交換を余儀なくされる。

 島民が必要とする食料や日用品は、上納する砂糖の余剰分(「余計糖」と呼ばれる。例えば上納量が300斤でその年に500斤作れたら残りの200斤が余計糖となる)に応じて藩から手形が発行され、この手形によって支給されるという仕組みであった。ただ、支給といっても自身の生産した砂糖と交換するわけだから実質有料なうえ、薩摩藩は一般的な価格より何倍何十倍も高い金額を島民に提示していた。

 例を挙げると、かつお節十貫は約92倍、塩四斗が28倍、米一石でも6倍。薩摩藩はそこから大変な利益を得ていた。なお、薩摩藩は五百万両という当時としては天文学的な借財を抱えており、この返済に躍起になっていたという背景がある。 (P59、60)

砂糖との交換レート表




〇 各種刑罰
 ・役人に従わない者 ⇒ 道路修繕等の科料
 ・砂糖の製法粗悪な者 ⇒ 首枷足械の刑
 ・サトウキビの刈り株が高い ⇒ 村中引き回し
 ・砂糖の密売 ⇒ 死刑もしくは島流し (P60)

 

今度黒糖を口に入れるときはこのことに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。