2013年2月25日月曜日

甘味



 どうにもならないのでキーボードを胸に埋め込んでいる。ちょうど喉の下から腹の中間辺りにキーボードが縦になって入っているのだ。埋めるのに邪魔だった肉や骨はベランダから投げ捨てた。知らないうちに猫がやってきて全てを食べてしまったようだ。少しでも役に立ててよかったななどと思っている。

 キーボードから伸びたUSBケーブルは首に巻きつけてある。手でも足でも良かったのだが、首が一番座りが良かった。この先端を目の前のパソコンに繋ぐと微弱な電流が胸を突き抜けて少し苦しくなって、吐く息が痺れる。電気の味だ。口から9ボルト電池を吐いている感覚、とでも言えばわかりやすいだろうか。舌に押し付けてはビリっとくるあれである。

 おもむろに何かキーを押してみると思いの外柔らかい。カチッとした肌触りを予想していたのだが、ぐにゅっとした、と言う表現が適切なようだ。もしかしたらもはやキーボードに血が通っているのでは、などと思ったが、通っていてもいなくてもどうでもよいことである。気にした所でどうしようもないのだ。どうしようもなくなってこうなったので、この先どうなろうとどうしようもない。

 このままでは外に出られないので何か服を着る。昨日まで着ていたスーツでいいだろうか、鞄も持たなくては。ハンガーに手をかけると思わず鳥肌が立ってしまうが、胸で呼吸と同時に上下するキーボードを見つめるとそれは収まった。すうっと息を飲むとキーボードは膨らんで、そろそろ吐き出すとキーボードは縮む。心の平穏とは、このことだろうか。

 家を出る前に、鏡の前に立っておく。身だしなみを整えるためだ。ネクタイは曲がっていないか?髭の剃り残しはないだろうか。気にする点は山ほどある。鏡にうつる自分は、薄ぼんやりとしていた。頬に手を当てて、顔の所在を確かめる。触っている。

 家の扉を開けて、街に出る。もうすっかり日は沈んでおり、各種ライトが跋扈する夜がやってきていた。人通りも昼間のそれとは変わって、側溝から湧いたようなむせ返る熱を持っているのだ。みな互いを飲み込まんとしている。歯を鳴らして、準備は万端である。この雰囲気の中でどこへ向かおうか。特にあてはない。

 とりあえず、酒を飲もうと居酒屋にやってきた。自動ドアが開くなり、若い娘がすっ飛んでくる。私を見ると、にこっと笑った。一人だと告げると、席に案内してくれた。安い居酒屋のわりに、落ち着いた雰囲気である。私が座っている席は半個室のようになっていて、周りの目をあまり気にしなくてもよいようになっている。ふと悪い考えが浮かんで、この店を選んだのは正解だったななどとひとりごちる。

 ボタンを押して、注文をする。今晩はウイスキーを飲むつもりだ。熱い酒を喉に通したい気分だ。

 注文を取りに来たのは先程の若い娘だ。短くまとめた髪が楽しそうに揺れる。この娘はいくつくらいだろうか。高校生?大学生?制服を着た姿を重ねてみるが、どちらも当てはまるように見える。正直どちらでもいいといえばいいのだが、気分を盛り上げるのには重要な要素ではなかろうか。胸のあたりが、みしみしっと軋む。

 数分待っていると、ウイスキーが到着した。娘は「ごゆっくりどうぞ」などと言って去っていく。グラスを持ちつつ首周りを、ぼうっと眺める。

 ウイスキーを少量口に含む。すぐさま鼻に強い香りが突き抜けて、口の中が涼しい熱で溢れていった。溶岩を冷凍したらこんな感じになるのではなかろうか、食道が焼けるように冷たい。冷気が脳に突き抜けて、鼻の奥を熱さで焼いていく。ウイスキーはこの感覚がたまらない。キーボードが心なしかギショッギショッと軋んでいる。知らず知らずのうちにグラスを口に運ぶペースが早くなっていく。

 ちょっと時間が経つと、なにやらおかしくなってきていた。一口飲むごとに胸のあたりが騒がしくなるのだ。軋んでいただけのキーボードが、ギーィヨッギーイッと針金を切り刻むような音を立てている。気分の高揚には違いないが、それとはまた別な何かがやってきている。いや、むしろそのために来たのではなかったか。私はよくわからなくなってもう一杯飲んでしまおうと注文をする。ボタンを押す指も心なしか震えていた。首に不思議な汗が流れ、背中は不快にべたついている。シャツの下はどうなっているのだろうか。少し恐ろしい気もするが、見てみたい気もしている。首に巻いたUSBケーブルがぴんぴん跳ねて今か今かと待ちわびている。この個室の扉を、あの細い手が開けるのを、待っているのだ。

 「ご注文をどうぞ」

 同時だ。あまりにも同時だった。あの娘がそう口にした瞬間USBが飛んでいって彼女の首に突き刺さった。血も出ず、彼女は悲鳴も上げず(あとから知ったことだが、キーボードが音量を最低にしていたのだとか。)、ひたすらUSBの先端はずぶずぶと沈んでいった。「死ぬのではないか」と私は思ったが、そんな思いは突如としてかき消される。彼女が口の中になだれ込んでくるのだ。女子高生(あるいは女子大生)の香りが口の中を吹き抜けていく。ウイスキーなど比べ物にならない心地よさをもって鼻腔から脳天までひたすらに風が吹いている。私は脳みそが思わず飛び出しそうになって、呻きつつ彼女に覆いかぶさった。みれば彼女は口を金魚のようにぱくぱくさせながら目をきょろきょろさせているではないか。私に彼女が吹き抜けているのならその逆もありうるのかなどと考えが浮かんだ。そうだとしたらご愁傷様としか言いようが無い。ああ、かわいそうな娘。私はUSBをもっと深く彼女の首にねじ込む。胸がいよいよ騒がしくなってきた。飛び立つ巨大なカナブンのような音を立てて喜びに打ち震える。私の感情をこの振動が代弁しているといっても過言ではない。いいいいっぎっいいぎぎっギーギーギィーギーッ。

 深く刺すたびに吹き抜けるものが変わる。頭になにか風景が去来する。これは、夏だ。夏。夏だようん夏だ夏だ。夏だね夏夏。木陰の下、娘と、む、娘と、同級生男子、流れる雲、肌焼く日差しッ。

 私は気持ちがわけのわからないことになって半裸になった。キーボードは生きているかのように波打ち、震えている。スペースキーが弧のように曲がっていて口に見えた。気持ちが悪い。それを押すとなんということだろうか。彼女の右足の膝から下が離れていくではないか。なるほどスペースか、と私は理解したが、いまいち理解できていない。だが、押さずにいられないのだ。何かに突き動かされるようにスペースキーを執拗に押す。彼女の右足は膝から下が個室の端の方へ行ってしまった。血は出ていない。離れているが、くっついているようだ。拾い上げてみると、普通に持ち上げられる。これは、これはと首から上を離すことにした。キーを押すたび可愛い頭が上半身から離れていく。私はその様子を眺めていると、射精してしまった。全身が心臓に変わってしまったかのように拍動して、意識が飛びそうになる。それを何とかこらえて、離れた頭を鞄にしまった。USBは繋い
でいないと恐らく死んでしまうと思われたので、袖から通しておく。

 這々の体で店を出て、再び街に出た。チカチカ光るライトがギインギインと眼の奥を痛めつけてくる。脳にわいて出てくるこの娘の記憶のイメージを受容するのに精一杯だ。浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返す泡沫のような娘の記憶が脳に溢れて耳からこぼれそうなのだ。

 それにしても、なんと幸せな娘なのだろうか。頭にやってくるイメージを見る限り、私と正反対の人間だ。だからUSBが突き刺さったのだ、と言うわけであるが、このような柑橘類のような(そうまさに柑橘類のような)イメージを体験できているのは私からしてあまりに幸運である。もっとも、これが存外普通で、私がそこから外れているだけ、という事なのかもしれないが。結果として、この娘の持っているものは私には些か刺激が強く、私を滅入らせる事となった。だがしかし、鞄の中である。その口を開くと、可愛い顔がこっちを見ている。

 家に帰って、首から上だけの娘をテーブルに乗せた。相変わらず目をきょろきょろ、口をぱくぱくさせている。喋りはしないが、USBを深く挿すと色々なことを教えてくれる。無理矢理記憶を味わっていると言ったほうが近いのだが、それではロマンチックではないのでそう思わないことにする。

 ベッドに娘の頭と横になる。首の肉や血管が直にシーツに触れているので汚れないか、衛生的に大丈夫なのかと思ったが、なんでもないらしい。第一触ってみると大理石のようにつるつるしていた。

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